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正論が正しいとは限らない

  • 2015/07/16 07:58
  • Category: 日記
タイトルにあるとおり、最近「正論が正しいとは限らない」ということをよく痛感させられる

昔、小学校の道徳の授業で「なぜゴミは決まった日に出さなくちゃいけないか」という議論みたいなのをした
「怒られるから」とか「カラスに漁られるから」など、愛嬌ある珍解答が飛び交う中、私は「ゴミ出しと言えど、地区ごとに決まった日に出さないとそれは不法投棄と同じことだから」という可愛げのないことを言った
その答えに先生は頷いて見せたが、別の人が「法律で決まってるのもあるけど、ちゃんと決まった日に出さないと困る人がいるから迷惑になっちゃう」と言った
先生はそれを聞いて「みんな聞いてたー!?○○君(私の名前)もいい答えで90点くらいだけど、××さん(さっき答えた人)は100点満点だね!」と言った
それを聞いた私は「なにがじゃい」と心の中で毒づいた
××さんは感情的なことを言って自分の意見に対して周囲の大人を同乗させるような口調を小学生ながら会得していた
七夕で、「おばあちゃんの病気がなおりますように」と書いて校長先生に褒められていたが、その人のおばあちゃんは病気になんてかかっておらず元気だということも私は知っていた
今回も私の意見がなかなかのものだと見るや否や、さらに自分の意見をプラスしてよりよく見せているだけだった
そもそも法律は識者によってある程度客観的な視点から妥当だと判断されたから制定されているのであって、小学生の「困る」とか「迷惑になっちゃう」なんていう意見が、法律という確固たる根拠に勝るはずはないと思った
なので私の意見が90点であり、××さんの意見が100点というのは当時の私からしてみれば大いに納得できないものであった

しかし、今思い返してみれば、私が教師の立場なら同じ点数をつけていただろう
大人になれば嘘でも××さんのような意見が言えるようにならなければならない
思ってもいないことを本心のように言い、逆に本音は自分の心の奥底にしまっておく、そういったスキルみたいなものが社会ではものを言う
別に「困る」とか「迷惑になっちゃう」ということに対して「かわいそうだ」という感情は持たなくてもいい
要するにそういった意見を駆使して周りの人間の心を動かせるかどうかという一点のみが重要なのである
逆に、私の意見は正論ではあるが堅すぎる
この正論というものがまたやっかいな代物で、本人は自分の言ってることが100%正しいと信じ込んでいるがために、自分の正論に対して突っかかってくる人の考え方を間違っていると端から思い込む習性がある
正論は正しいはずなのに、人間関係の組織形態には著しくそぐわず、正論ばかり言っている人は組織の中で害にすらなりうるのだ
つまり、正論は万能ではなく、時と場所を選んで言わなくてはならないということである

小学生の道徳という授業は正論を言うべき場所であるのかどうかは判断が難しいが、そのことを重々理解していなかった私は、××さんの意見と比較して-10点の差をつけられてもやむを得なかったと思っている
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